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【評価経済】や【贈与経済】の本質と可能性  ~【評価経済】の具体的な未来像はこうだろう論(その2)~ [通貨の未来]

評価経済や贈与経済の話が議論を巻き起こすのは、言葉の定義が曖昧、抽象性が高い、既存経済の思考の延長に無い、等の原因が考えられます。従って個人の想像の範疇ですが、思考の補助線として評価経済の具体的な変化の例と構造を示してみました。『僕の考えたカッコイイ未来像の1パターン』位の軽い気持ちで読んでもらえれば幸いです。


この記事は前回の続きとなっています。
未読の方はこちらからお読みいただくことをお勧めします。
【評価経済】の具体的な未来像はこうだろう論
http://sakamata.blog.so-net.ne.jp/2012-04-07

さて、引き続き話題になっている評価経済論ですが、また様々な方が評価経済や贈与経済について記事を書いておられます。

@fromdusktildawnの雑記帳
貨幣経済と評価経済の本質的な違いは「評価」ではない
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/14590

内田樹の研究室
経済成長の終わりと贈与経済の始まりについて
http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1110.php

「贈与経済」論(再録)
http://blog.tatsuru.com/2012/04/08_1404.php

tykのノマド日記
評価経済というオカルト
http://tyk97.blogspot.jp/2012/04/blog-post_08.html

ちなみに私の中では【評価経済】と【贈与経済】の言葉の定義はほぼ同義です。
評価という行動自体、基本的に見返りを求めていない贈与行為だと思うし、評価の内訳として、単なる賞賛でも、金やモノを贈与してもいいだろうと考えてます。


■各見出し■
・評価経済で評価を集める戦略とは
・評価される行動はなんでもいいし、なんでも評価の対象になる
・『評価』が流転し、経済的活動を起こす様子
・現在は本当に【評価=お金】なのか?
・評価の流転から実経済の流転が発生する



■評価経済で評価を集める戦略とは
前回の記事では評価経済の進化した未来像では、【評価経済システム】が進化しており、ネットワーク上とリアルでの情報の結びつきがより強固なものとなり、個人が相互に評価された履歴を開示しつつ、評価された総合量である【評価資産】を数値化して持ち、互いがその数値を容易に見せ合う事が可能な社会が到来するであろう、ということ語りました。

さて、では【評価経済システム】が幅を利かせ始めた社会で、【評価資産】をより多く集める為の戦略とはどういったものか考えてみましょう?

評価を集める戦略には大きく分けて『独占』『薄利多売』の二つの方法が考えられます。

『独占』とは物凄い評価資本を持っている人から、それなりに評価される事、マザーテレサ(今のビル・ゲイツやジョブズ)にちょっとでも良いから誉められるという事ですね。
物凄い評価資本を持った相手から僅かでも評価されれば、周囲からの注目も集め、高く評価された事になります。

これに対して『薄利多売』はより多くの人から少しづつ注目を浴びるという事です。具体的に言うと。はてなのホットエントリーに上がるとか、芸能や文筆活動で評価され多くの人に周知され、少しだけでも評価されるという数が集まる。ちりも積もれば…。で、結果的に大きく評価されるという事です。

合わせ技でマザーテレサに注目されて、多くの人にも注目されるという事もありますし、逆パターンで、一旗上げて有名になってからマザーテレサの目に留まるというのもあるでしょう。

『独占』戦略では、一回のインパクトが物凄い、悟空から嬉しいかめはめ波を食らう様なものです。
対して『薄利多売』は、元気玉でみんなの力をもらう状態そのままですね。情報の流動性がますます加速する未来の評価経済社会では、その情報の透明性の高さから誰もが悟空の様に元気玉を集められる機会を持っており、光るものがあればマザーテレサの目に留まり高く評価される機会もあるという訳です。

また『独占』『薄利多売』は対の関係ではなく、滑らかに連続性を持った関係で、中レベルの人から、そこそこの注目をされても、それなりにインパクトがある、ということになります。

このような関係性はちょうどgoogleのページランクと似ていますね。


■評価される行動はなんでもいいし、なんでも評価の対象になる
そして、その評価をされる対象は「なんでもいい」という事です。感動でも、笑いでも、楽しさでも、発明発見でも、功績でも、また、労働でもです。既存の経済活動を圧迫しない範囲で、気前良くいい人を目指すのがよいでしょう。
そして自分の価値観を押し通して楽しく愉快にやって、結果周囲から評価されてもいいし、使命感や責任感であえて汚れ役を引き受けて評価されても良い訳です。つまり評価さえされればその生き方も自由という訳ですね。

ただし、名前や行動が割れている評価経済システムの中で、マイナスの評価になるような振る舞いをすることはあまり得策ではありません。他人を深い理由無く批判・罵倒したり、不誠実や身勝手な行動を取る事は、あなたを評価してくれている人から、信頼を失い【評価資産】をもらえなくなるというリスクがある為です。
そういったマイナスの評価は、未来の評価経済社会では、wikiリークスや2chの様な匿名性の高い出所不明で、信頼度未知数な情報として確保されることとなります。

また、周囲からより多く注目されている人の行動、発言は、評価をされている行動だけでなく、その一挙手一投足までも注目され、評価の対象となる訳です。
例えば芸能人は笑いや唄やキャラクター性に秀でた事で多くの人に評価されていますが、常にスキャンダルはないかと粗探しをされていて、プライベートも監視され評価の対象とされている訳です。有名税という言葉で片付けられてしまうかもしれませんが、これはある意味しんどいですね。

さて、こうやって個人は周囲からもらった評価数値の絶対量によって、自分の【評価資産】の量が決定します。
そして今度は周囲の人を評価する際には、自分が【評価資産】をより多く持っているほど、周囲により大きな影響を与える事が可能という訳です。

では、このような基本ルールに基づいて、複数の人の間で『評価』はどのように流通し、経済的な活動となるかを考えてみましょう。


■『評価』が流転し、経済的活動を起こす様子
これ、じつは既存の経済活動とあまり変わりません。
Aさん→Bさん→Cさん→Dさん→回ってAさん
という流れや循環が起こるでしょうということです。

たとえば
Aさんは 動画サイトに曲を投稿しました。

Bさんは Aさんの曲が素晴らしかったので【評価資産】を与えた上で、曲に動画を付け加えて新たな動画きの作品を投稿しました。

Cさんは Bさんの曲付き動画が素晴らしかったので【評価資産】を与えた上でブログで紹介しました。

Dさんは Cさんが紹介したその動画で感動したので、Cさんに多くの【評価資産】を送りました。

そして Dさんは、Aさんに新たな曲のイメージを提供できるようなモチーフを提供しました。

という感じで流転・循環をすることが考えられます。
この一連の流れはニコニコ動画などで見られるものですが、この行動もある意味、元ネタを評価をしたからこそ、自分のコンテンツを無償で付与(贈与)したと考えられる訳です。
(正確には贈与の矢印方向は逆で Aさん←Bさん←Cさん←Dさん←Aさん ですが、便宜上、矢印を従来の経済の流れの方向に準じて表記しました。)

そして既存の経済との大きな違いは、既存の経済が『お金』と『モノやサービス』の交換を大前提にしているのに対して、評価経済では、基本的に片道方向の贈与のみ流れになっているという点です。
なので、正確には価値の交換が行われていないので、従来の経済活動とは定義が異なりますが『評価』が経済に近い振る舞いとして流動したり流転したりする可能性があるということが示せたかと思います。

これはちょうど、内田樹さんが『「贈与経済」論(再録)』で指摘されていた贈与のパスを繰り返す状態と考えることができます。

また、この A→B→C→D→A の循環例では、実経済で通貨に換算できないようなものを例としましたが、この循環内に実際の通貨の流れやモノ・サービスの流れを組み込む事も想定できます。但しその際は矢印の流れがややこしくなるので割愛します。


■現在は本当に【評価=お金】なのか?
さて、ではここで少し話題を変えて、fromdusktildawnさんが指摘した以下の点について考えてみましょう。

貨幣経済と評価経済の本質的な違いは「評価」ではない
http://ulog.cc/a/fromdusktildawn/14590

---引用---
そもそも「評価」自体は貨幣経済の基本であって、評価経済独自の特徴じゃない。
貨幣システムは、本来、比較も交換もできない多様な「評価」軸を集約して「交換」可能にしたシステムだ。
美味しい御菓子を作ることと、バグのないWebアプリを作ることは、評価軸が異なるので、本来、比較も交換も出来ない。
それを「金額」に換算する(評価軸を統一する)ことで、比較したり交換したりすることができるようにしたのが、貨幣システムだ。


つまり単純に解釈するのであれば【評価=お金】ということですね。
ところがこれはタテマエで、実際には【評価≠お金】という状況があまりに多いのが近代の状況と考えられないでしょうか?

たとえば、未曾有の大事故を起こしたにも関わらず責任を追及されず給料の保証がされた会社役員と、命の危険を顧みず、下請け構造で中抜きされた低賃金で事故現場に赴く作業従事者
本来どちらが【評価=お金】とされるべきでしょうか?

また、休日や有給ももらえず残業代も付かず、ハードに働くサラリーマンは本当に労働という評価に見合った給料をもらっているのでしょうか?

さらに、金融取引などお金でお金を買うことで莫大な利益を出す行為は、果たして本当に
【評価=お金】の図式に当てはまるのでしょうか?

実はこれらを是正、補完するのが【評価経済システム】であると考えてます。


■評価の流転から実経済の流転が発生する
では、『評価される』という行為はどのような行動で表現されるでしょうか?
単に動画サイトを見て【評価資本】のポイントを贈るだけ、といった行為に留まるのでしょうか?

もし、自分が【評価資本】はほとんど持っていないが、実経済としてのお金や商品、サービスを提供できる立場にあった場合、スカウターの自分のわずかな数値を贈与する、というバーチャルな行為のみで収まるでしょうか?
周囲からより評価されたいと思った場合、相手を助ける為の具体的なアクションを起こす事が、より得策とはならないでしょうか?

つまり具体的にいうとこうです。

先ほどの例にした、中抜きされた事故現場処理作業従事者ですが、【評価経済システム】の中にこの人が組み込まれれば、この人に対して多くの【評価資本】が集まるでしょう。
ですが、集まるものは単なるポイントだけでなく、中抜きされた給料の一部を誰かが代わりに払ってくれたり、食料や生活品を提供したり、休日には整体師がマッサージをしてやる、といった「贈与的行動」を行ったとしたら、その「贈与的行動」を行った人達も、別の誰かから同様に『評価』を受けるということにはならないでしょうか?ちょうど映画ペイフォワードのように、親切が人から人へ受け継がれてゆく、という様に。

そしてそれは果たして単なる評価経済システムの数値の贈与だけに留まるでしょうか?

贈与的な行動は【評価経済システム】の中では必ず誰かに見られることになります。そして「贈与的行動」を行った人は、別の誰かから評価され、新たな「贈与的行動」を受けるチャンスを手にする。
こんな贈与の連鎖現象を起こすとが期待できないでしょうか?

この様にお互いが丸裸にされた【評価経済システム】の世界で、人の振る舞いは【お金≠評価】の状態が是正される方向に働くということにはならないでしょうか?

続きます。
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Habanero.J.Hanker

評価を集める戦略ですが、独占と言うと、
「少人数のそれなりの評価資本を持った人から非常に強く評価される」
事の方が言葉のイメージに合ってるんじゃないかと思います。

したがって、評価を集める戦略には
「非常に多くの中流階級の人から少しづつ注目を浴びる事」
「少人数のそれなりの評価資本を持った人に非常に強く評価される」
「少人数の物凄い評価資本を持っている人から、それなりに評価される事」
の3つがあるんじゃないかと思います。
(表現がちょっとずつ変わってたりして微妙かも知れませんが)

「薄利多売」「独占」に対して何と呼んだら良いかまでは
思いつきませんでしたが、以上、私の感想です。
by Habanero.J.Hanker (2012-12-31 15:51) 

さかまた

>Habanero.J.Hanker様
コメントありがとうございます。
評価を集める戦略ですが、確かにより実践的に考えると提案してくださった戦略が有効かとおもいます。
ただ、話を判りやすくする為。極端な例である、『独占』と『薄利多売』という言葉を用いて説明させてもらいました。
要は100持ってる1人から100をもらうか
1を持ってる100人から100もらうか、みたいな喩ですね。
by さかまた (2012-12-31 16:12) 

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