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新しい概念の通貨を作りたい [ネットワークの未来]

ちょっとまた色々と書いておきたい事が出てきたので少しだけ更新します。

最近WEB2.0とか良く目にする様になって自分でもそれ系の本を何冊か読んだけど、実は自分がやりたいと思っている未来のカタチみたいなものの片鱗がかなり広く世間に認識されてきたのかな。とちょっと先に進みすぎてると自惚れる自分は思う訳ですが。

えーと、先に結論から書こう。

自分のやりたいと思っている事がちょっとだけ現実へ近づいてきたので、今の知識や状況で二年前から語ってた事を再び語ってみようと思うのです。

現在の通貨の概念や取引の方法には根本的な欠陥があると思う。
だからその欠点を補ったネットを使った新しい通貨取引の概念を現実にしたい。

そんで、これが現実になれば、多分世界はハッピーでピースな感じになるかも。

これが自分の中の軸になっているテーマです。

最近、WEB2.0系の本を読んで触発されました。
やはりWEBの世界は参加して議論してなんぼかもしれないな。
と思いはじめましたが、さて、いつまで続くことやら…。


PICSYがライブドアに採用!? [ネットワークの未来]

ホリエモンがPICSYをライブドアポイントに採用か

 

いやー、面白い事になりそうですねぇ。

これまではゲームの中の仮想通貨や人事評価といったものに使われていた伝播投資的な概念ですが、実際にモノの取引までに採用される可能性が出てきたというのは、かなり順調にプロジェクトが進行されている様です。

健さんが抱いているPICSYプロジェクトでは、PICSYが世界標準通貨として完結するまでには数百年かかるとおっしゃってましたが、意外に私たちが生きている間にも、かなりのところまでこのような新しい通貨概念での取引が出来る社会が到来するんじゃないかと思うんですが、いかがなもんでしょう?

というかこれからは様々な形での新たな等価交換の試みが出てきて、特定のモノだけに使える通貨や、選択する通貨というのがもっと増えるのではないでしょうか。実際、現在もクレジットカードや電子マネー、地域通貨やマイレージ、特定企業のポイントなども実は限定的な通貨と考える事が出来る訳です。(まあこの辺はこれまでの現金が形を変えただけだったりがほとんどだったりする訳ですが)しかしここに伝播投資という概念が加わる事で、通貨のあり方に対する人々の考え方が変わったり、新たな選択肢や概念というものが増えたりしてくるのかもしれません。というかそうなって欲しいな。

 

 

ていうかもしかしてコレ、4月馬鹿のネタじゃないだろうな…。

ちょっと疑ってみたり(笑)


次世代メディア研究会の資料リンク [ネットワークの未来]

べき乗の集まりで知り合いになったがっちゃんさんから、非常に興味深い資料を教えていただいたので、リンクを貼り付けておきます。

SFC國領研究室で進めている『次世代メディア研究会』の関連資料です。

http://www.jkokuryo.com/cases/20041025mukachi.pdf
http://www.jkokuryo.com/cases/200410264layermodel.pdf 

「情報は本来は無価値である。」という大胆な視点から、情報化社会での情報のやり取りについて考察されています。

ここでは、情報を生む人、情報に関するおくづけ情報、その評価する人、そして情報を受ける人、の4層構造からなる新しい情報のやり取り方法について考案をされています。実は私の考えているものに近いのでは?という事で今回この情報を提供していただいたのですが、情報に対する評価者の存在や、情報は受ける側が価値を付けるといった点に強く共感しました。

うわー、もっとお話を伺ってみたいー!という感じです。

ここ数日いろいろと刺激を受けて、書きたい事があるのですが、まとまった時間が取れません。というか平日は帰りが遅く週末はなんだか死んだ様に寝てばかり。疲れた大人になりつつあるのか俺。

ゆっくりモノゴトを考える時間を作らなければ。


「評価」の「評価」で人はHappyになれるか? [ネットワークの未来]

Hiroetteさんが非常に端的に信頼通貨のコンセプトについて説明してくださったのでトラックバック、実はこのような「嬉しかったらその分だけ自分の所得から相手に与える通貨」というのは、実は成り立たない訳です。
本音ではとっても嬉しくても全然嬉しくなかったフリをして、少しだけ払えば自分の所得が減らないで済む訳ですから、つまり何に対しても喜びを感じてない不感症なフリをする事が自分がもっとも得をする方法をなってしまう訳で。これじゃあ意味がない。

そこでいろいろと考えている方法論があるんですが、一つは個人の価値観を視覚化し、明確化する趣向のオープン化、それとその趣向に対して相互に評価し合える相互評価の仕組みを導入する点。また評価を評価出来る仕組み等をネット上にシステムとして作り上げる事というのが一点。
こちらの方は去年から思いついて、べき乗の集まりなどで何度もプレゼンをさせて頂いてますが、いまだにうまく全容を説明出来ませんですみません。

これによって何が起こるのかというと、自分の価値観、つまり自分が何に対して高い金を払ったかが一目瞭然になることで、その人の持っている価値観が周囲の人から評価されるような流れが起こるという事です。この辺、プライバシーの問題などが山積ですが、ネットならではの匿名性とSNS等に見られる関係性によって情報提示レベルをカスタマイズ出来る点を利用すれば、これらの問題の大半はクリアできるのではないかと考えています。

また自分の価値観が周囲に高く正当に評価される事で、周囲から評価(=通貨)が入る様になれば、人は自然とより高い評価を得る事に対して情報の生産(または評価)や様々な活動を行う事になると思われます。この辺は、あえていうなら全ての人が情報に対する「発言者」すなわちクリエイターであり、また「目利き者」つまり批評家になるなることが可能という事でしょうか。さらにいうならこの「評論家」を「評価」する事仕組みを付ける事で、「評論」自体も振るいにかけるという力を発生させる事が可能になる訳です。
この「振るい」ですが、ここがこの相互評価のポイントで、「振るい」の基準になるのは常に誰か偉い人が決めた絶対的な尺度が存在する訳でなく、自分の価値観や自分に共感できた近しい人の価値観を基準に、情報や評価を選別をネットワークコンピュータにさせてしまおうという事です。この辺、グーグルの検索システム、又はAmazon.comの「この本を買った人はこんな本も買っています」や「〇 人中、〇人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。」がイメージに近いでしょうか。そんな様な事をする事で、多くの人の共感を得られるクリエイターや評論家はより多くの人から評価され多くの通貨をもらえる事が出来る様になる。という訳です。

では多くの人に評価はされないが、マニアックだったり小さな世界でのささやかな情報発信者や評論家はどうなってしまうのでしょうか。実はこの辺ネットワーク理論で昨今囁かれているロングテイル

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%ed%a5%f3%a5%b0%a5%c6%a5%a4%a5%eb
または麗しい澤といったものによって細かく分化されながらも、価値観を共有するもの同士が技術の進歩によってより容易に結びつく事で、ある程度の情報経済が成り立つのではないか?という事を考えていますが、それはまたいずれ。

とにかくこんな感じで、価値観の近しい人たちの間で相互評価による信頼通貨を発生させる事で、これまでの経済の流れとは一風異なった、Happyな通貨流通の様なものを起こせるんじゃないかと考えたわけです。


あと、もう一つは思いつきで書いてまだ熟考してない、自分では使えない人から貰うだけの通貨です。上記のものとどう混ぜるべきかも考えていないのですが。この辺の考えもかなりヒントになっている様な気がしてます。

実はこれらのアイデアは自分で思いついた部分もありますが、実はほとんどが今ネットに存在している様々なサービスを混ぜ合わせたものでしかありませんし、近い将来これと似たようなサービスが次々と生まれてくるでしょうし、私が知らないだけで実はもうかなり近いものが存在している様な期がします。実は去年mixiやはてな?といったサービスがそうだった。また最近ではSFCなどで非常に面白い考察や試みなどもされている様です。これはまだ詳しく見てないんで、見たら紹介します。


ネットワーク社会における情報の価値の推移について [ネットワークの未来]

(メモ、というかハンパな文章です、サイトに書いたネタのまとめ…というか自分の一番言いたい主張みたいなもんなんで、言葉かなり変ですけど載せます、この内容はいずれ整えてきちんとした文にしたい所)

売り物としての情報、これまではマスメディアに代表されるように、同じ情報を印刷、通信、放送等で大量に発信し、基本的に一律の価格で売っていた。

ニュース、新聞、映画、書物、等

しかしネットワーク社会が円熟すると、情報のコピー、再配信が容易になる。(究極の方法がP2P)ところがネット社会で従来の方法論のまま行くと、売り物としての情報コピーは海賊行為として違法行為となり、法的処罰の対象になったり、コピーを阻止する技術対策や、コピーは悪という啓蒙活動が講じられる等でこれを封じ込める動きに傾く一方、その結果、既得権を持った大企業やより大きな組織が得をし、ネット社会の到来によって本来誰でも行える個人の情報の発信に抑制や規制が生じ、場合によっては不利益を講じる可能性もある。

この流れは本質的にオカシイ

ではどうすべきか?

提案

情報はコピーされることを前提として価値(価格)を持たせる事が妥当ではないか。

そもそも情報を一律の価格で販売する事自体を疑ってみよう。

いままでの情報に対する一律の価格の付け方を「ニュートン的宇宙観の情報価格設定」と名付けて考えてみよう。
つまり価格には、需要と供給の関係から導き出される、誰にとっても妥当な価格が存在すると仮定して、「売り物としての情報」は販売されてきたが、これを疑ってみる。

でもさあ、最初の奴に売っちまったらみんなタダでコピーできるじゃねえかと。

また、人の価値観が多様化し、人が必要とする情報も多様化してきている、また希少価値を持つ情報、つまり早い情報や、みんなが注目するあたらな見解や発見、といった時間軸によって即時性を持つ情報ほど、情報財としての価値は高い、つまりスクープは高く売れる。これは今でもこれからも変わらない事実。

ところがスクープすら多様化し、人によってあるいち早い情報に高い価値を見出す人間と見出せない人間が出てくる。ヨン様の恋人発覚なんてネタはファン主婦にとっては非常に高い価値を持つ、いち早く知りたい情報だが、経済ニュースを毎日チェックする経営者にはあまり価値を持たない情報だ。

つまり「情報の価値」は受け取る側の人によっても異なってくる訳です。当然これも、昔から今まで、そして未来に渡っても共通の変わらない事実でしょう。もしかしたら近代に成る程、顕著にこの現象が起こっているかもしれません。価値観の多様化によって、モノや情報のニーズも多様化し、専門誌の多様化や、様々な価値観に基づいて細分化されたネット上の情報サービスは日々誕生しています。


そして私たちは細分化され細かく住み分けされた自分好み情報を、価値観を共有する人たちという「需要」とサービスを行う「供給」側の妥当な価格でこの情報を取り引きしている訳です。

つまり一定の価格以下では基本的にビタ一、情報にアクセスすることは出来ない。という事です。ところがこんなの皆さん全然実感できませんよね。
だって自分にとって、買ってないけど欲しいと思った情報って結構簡単に手に入っているから。どういう事かというと、端的なのがコンビニの立ち読み。マンガにも勿論元手がかかってますが、買わないでタダでも見れちゃう。

それからテレビラジオインターネット、設備投資や基本料さえ払えばタダみたいなもんです。

でもコレ見込みの価格として最初から組み込まれている価格な訳で、テレビの民放だったらCMを観たひとがその製品を買う事を見込んで番組は制作されてる訳だし、ネットだってバナー広告があったりするし、本や雑誌やマンガだってお試しという題目で立ち読みされる事を見越した上で売っている側面がある訳で、
実は誰もがアクセスできるタダの情報というのは、実は他の誰かが金を払っていることでタダで情報を手に入れている奴の損益を補っている。と考える事ができる訳です。

はっきり言ってコレって無駄だしちょっとムカつく。ていうか回りくどいと思う。

じゃあどうすればいいか、


タダで情報を手に入れた奴のことをちょっと考えてみよう。

実はコイツ、需要供給曲線の閾値が「買う」レベルまで達しなかったから買わなかった訳。

で、他の買った奴らはどうかというと、その情報にスンゴイ価値を見出している奴もまあ、金も時間も余ってるし暇つぶしで買っちゃえ、ほとんど読まないと思うけど…的な人もおんなじ値段で買っている訳。

ちょっとアンフェアな感じがする。ていうか無駄が多いし、ある情報から回収できる利益って、もっと妥当な所に落ち着いてもいいんじゃないかと思うわけ。だって僕らは情報が簡単にコピーできちゃうネット社会に生きている訳だから。

とはいったものの何を基準に情報の価値を決めればいいのか?

一定の今までみたいに一定の価格で売っても立ち読みみたいに情報を結果的にタダ見する奴は簡単に出てくる。だって一個の情報を気のいい奴に売ったらそいつがみんなにコピーしやがる訳で。

だからといって単価を上げれば買う奴は減る。
コピーしないように対策を講じれば金もかかるし息苦しい世の中になってしまう。

そこで考えた。

じゃあ、情報を受ける側が、その情報に対し価値を見出している分だけ払うというのはどうか?

つまり価格にニュートンの宇宙観的な絶対軸のある価格供給を考えるんじゃなくて、アインシュタインの宇宙観みたいに、情報を発信する側と受ける側との、個々の価値観の共有度や、個としての需要側と個としての供給側による、相互の引き合う力によって、情報の価格を決めるという方法論というのを考案するのが妥当なんじゃないか。と思った訳で。


物語『電車男』は誰のものなのか [ネットワークの未来]

書籍になったり、同時多発的に漫画連載になったり、映画になったりで、テレビでも純愛物語として取り扱われる事の多くなった電車男ですが、正直、『儲け』や『権利』が一体どこに行くのかが気になる。

金にうるさいとかえげつないとか言う無かれ。むしろこれまでのコンテンツの流通とは電車男は一線を画すものだと思っているわけですよ。

これまでのマスメディアで流通するコンテンツには明確な原作者なり製作者がいて、メディアに載せる事を前提に企画が作られ、流通に乗り、販売されていた訳で、その利益も多くの製作者に一応フェアな形で分配されていたはずなのだが、特定する事が極めて困難な大勢の人で作り上げた生の群像劇が生んだコンテンツの利益は本来どこに還元されるべきなのだろうか。もしかしてネットから作者不明や作者が権利を放棄した情報をどんどん『狩』って来て、それをマスメディアに載せてアタリを出した連中はそいつらだけが丸儲けなの?それってズルくないかな。

確か書籍の時は利権に関しては本のおくづけできちんとしたコトワリらしきものが入ってましたが、漫画や映画となると、その利権や利益なんてものはどうなっちゃうんですかね。もしかして素人が集まって自分達で映画『電車男』を作って公開しようとしたら東宝に訴えられちゃったりとかしたら、とっても嫌な事態。というか許せん事態だと思うのですが。

個人的には極端な話ですが、誰もがネットでタダ見れる電車男が原作となった、書籍、漫画、映画は全てネット上での転載コピー改変を自由にして公開すべきだと思うのですがいかがなものでしょう。

だって皆さん、コレ営利じゃないよね?当然文化事業世でやってるんでしょ?

文化的で優れた情報を広く世に伝えたい一心でやってるんだよね。

いわば古典文学と一緒で儲けなんか考えちゃ駄目駄目。文化事業なんだから、原作者に利益が還元されないのなら、製作費以上の利益はもちろんその文化の拠り所に返すべきだと当然考えてやっているんですよね?

え、だってそうじゃなきゃタダの泥棒じゃないですか?違う?

 

カナリシニカルニナッチャッタ


新しい通貨の思考実験(メモ) [ネットワークの未来]

ネットワークを使った信頼通貨や情報交換というシステムを考えていて、なんとなく思ったことがあるので、一人ブレインストームがてら更新。

自分では使う事の出来ないお金、というのはどうだろうか?

つまり人に使ってあげる事ではじめて使える通貨。自分の欲しいものは全て他人のオゴリだし、自分の稼ぎは全部人にオゴルという一見やりがいの無いシステム。

ってコレ。じつは韓国コミュニティサイトCyworldでの『どんぐり』という通貨単位そのまんまでブレストもへったくれも無いんですが、ビジネスモデルとかっていう形じゃなくて、みんなで日常のいろんな事をコレでやったら結構面白いかな。と。生活全てとまではいかないけど、ネットで行う情報取り引きにこのルールを盛り込んでみるのも面白いかなと。

Cyworldでは主に男女間のプレゼントとしてネット上のカスタマイズ的なモノを購入させてあげるために、異性間での贈与が基本となっている様ですが、コレが経営側の儲けとかあまり考えないシステムになって、うまく回ればいい感じのポジティブな連鎖が起こせないかなとか考えてます。まだ説得力のある言葉にならないんですが。結構自分で使えず、人に与えることによってはじめて効力を発生させる通貨というのは、かなり潜在的な既存概念をブッ壊すヒントなんじゃないかと。


世界はマトリョーシュカ [ネットワークの未来]

ひできさんの記事を読んでいてフト思った事をこの際記事にしておきます。

というかメールを書くつもりがつい長くなってしまい、あちらにコメントかな?なんて思っていたらさらに長くなったので…。

 

「認識」というか「リンク」という状態について、実は私もイロイロ考えているんですが、リンクや認識が出来る様になるには、一つ小さな位相の夥しい集団の相互関係が必要なんじゃないかと考えています。というかそうなってますよね。


例えば夥しい数の神経細胞が集まり、周囲の仲間を認識し、リンクすることで「脳」になり「意識」が生まれますし、「人」のつながりが「社会」を作っている。

またミクロに目を転じると、バラバシの「新ネットワーク思考」にもあったように、細胞を維持するためのアミノ酸ネットワークや、DNAの表現型のネットワーク等もありますが、これらは全て位相の異なりと認識とリンクが共通ワードになっています。
つまり世界というのは、その異なる位相のネットワークのマトリョーシュカ状態がひたすら続いているんじゃないかという事を考えちゃう訳ですよ。

特にPOWER OF TEN なんか見てしまうと特にそんなことを考えてしまいます。
実はこんな事を結構昔から考えていたんですが、例のイッちゃったアノ日以来、核心のようなものを抱きつづけているんですね。
ひできさんの記事と「認識におけるマッハの原理」を読んでなんとなくそんな事をあらためて考えました。

あんまりこういう事書くと、ガイア理論支持者のトンデモさんになってしまって、マジメに学問をしてる人からエンガチョされちゃうので(笑)冗談半分でのネタという事にしておきますが、現在の急速に進歩するネット社会というのは、人間の一つ上の位相が生まれつつある受精卵の細胞分裂やホルモン分泌の様な時なのかも知れません。安っぽいいつもの言葉で言えば「グローバルブレインの目覚め」みたいな(笑)

実はこんな考えに加えて、さらに時間の流れの正体というか尻尾みたいなものも、なんとなく考えている事があるのですが、まだ上手く言語化できないんですよね。

そんな訳でインスパイアされる知識との出会いを期待する日々な訳です。


想像力の進化 [ネットワークの未来]

最近、ネットで遠い国での不幸な出来事や、世の中の様々な矛盾や問題に対して、個人が抱いた感想や、考察、提案をよく目にするようになった。インターネットが軍事目的をヒントにし、大学間での知識の共有を目的に進化し、いつしかネットが世界を覆い、個人が気軽に情報発信をできるようになった。ネットはブログを始め様々な自由な表現の場として、また人々の繋がりを生み出すツールとして、必要としている人にとっては欠かせないものとなって来ている。

個人の発信した情報には、顔が見える。例えその人の顔写真は載っていなくとも、その人の人柄や、その人を通してみた物事の見方が、受け手にとってダイレクトに伝わってくる。

これは従来のマスメディアに対して非常にインパクトのあるもので、人によってはマスメディアより身近で、より本人にとって心にリアルに響くものがあるだろう。

リアルに響く事で、対象の問題について、より身近に感じられるようになる。そこにある生々しい声によって、私たちは知らない町のどこかの誰かの経験や、考えに深く共感出来る様になったのだ。それは国境の壁さえやすやすと越え、時に言葉の壁さえも越える。場合によっては歪められた情報もあるだろう。しかし受け手も当然そんな事はわかってくるわけだ。ネットは常に様々な意見が乱れ飛んでいるのだから。
つまり、私たちは今、ネットという道具によって、想像力や判断力をより進化させているのではないか?と思うのだ。

遡って考えてみれば、メディアの進化とは、想像力の進化でもあっただろう。正しくメディアを使う事で、人は知らない国の出来事をより鮮明に知覚する事ができるのだ。勿論弊害としての実感を伴わない程の大量の情報シャワーによって、寧ろ想像力を欠如させてしまう事もあるのだろうが、うまく使えばネットワークは人の想像力を進化させ、共感する力を鍛える事が可能なのではないだろうか。

考えてみると、生物の知識の進化とは、より先の危険を察知できる能力の進化とも考えられる訳で、魚のような反射的な危険察知から、次第にネズミの様な経験を記憶するようになり、サルの様に知恵を付け、人は社会性を進化させてきた訳だ。そしてメディアの出現によって、人は知識量や想像力のキャパシティを急激に増やし、今、ネットワークによってもっと多くの想像力と知識を共有しようとしている。そんな風に考える事もできるのだ。

人は近い人程、共感や想像力がよくはたらく様にできている。それを否定する事はできない。そんな人の想像力が進化していく事で、人は破滅に向かうのか、それとも平和に向かうのか。できれば平和に向かって欲しいと思う次第。


情報処理の限界点 [ネットワークの未来]

このところmixiなどの集まりに参加したことが縁で、様々な人との繋がりが出来はじめている。そしてそういった方の多くは自分のサイトやブログなどを持っており、mixiでも日記を書いていることも多い。

つまり当然だがはじめて知り合った人は既に日々の記録、思考や知識を蓄積し続けており、自分にとって非常に刺激的な考え方を展開させている方や、多くの発見に繋がるコンテンツを書いている方が非常に多く、ネット生活の毎日が刺激的なのだ。

特に先日行われたmixi内でのP2P-OFFでは30名以上の方が出席され、技術論や著作権問題、クリエイティブコモンズ、新しい商売の方法論、貨幣の価値について、そして果ては社会論に至るまで、多くの方との共感と新たな発見を得ることが出来て、知り合いになれた方や面白い発言をされていた方のブログやサイトを読むのが非常に楽しみでむさぼる様に読んでいる。

いるのだが…。


すみません、正直、人としてのハードウェア的に
キャパシティオーバーです。


私自身、あまりにも節操無く興味のあるものを片っ端から読んだり、やってみたい事の欲求が多い方なのだが、今ネット上で興味のある方のブログやサイトの毎日の更新を追うだけで、実はかなりの時間を消費している事にあらためて気が付いたのだ。
そしてさらに言うなら、気になっている方の過去の蓄積に全て目を通す、という事がもはや事実上不可能に近いところまで来ているのである。

これは何も自分自身に限った事ではなく、私のWEB上の情報にこれからはじめてアクセスする人にとっても、私の発信した全ての情報を読むなんて事は、よっぼどの興味を持っていただけない限り、ほぼありえない話な訳です。

この辺「友達付き合いだから義理立てして全部目を通してみよう」とかいう考えもあるかもしれないが、自分にとってあまり意義を感じない情報をインプットする行為は、自分にとっての必要情報を得たり、発信したりする為の時間を犠牲にする事に他ならない訳ですよね。

つまり極端な言い方をすれば、誰にとっても「私の興味のあるもの以外の事に、限られた人生での時間を無駄に消費したくない」訳です。

でもコレ、逆に言えば、他人にとって面白くもなく価値の無い私の情報で、時間を無駄にして欲しくも無い、という考えも成り立つ訳ですよ。
(ほらソコ、お前なんか無駄の塊だろとか言う奴…ごめん)

さて、そうなって来ると、湧き上がる疑問がある。

SNSやブログ等で活発な活躍をされている方に対していつも思うことに、いかにして自分にとって有益な情報を検索、選択し、それを題材に記事としているのか?あまりに多くの関係性の中から、自分にとって必要な情報のみを取り出し、それを読みアウトプットに繋げているのか?という事に非常に興味がある訳ですよ。


つまり平べったく言うなら、みんな?知り合った人のブログ、過去に至るまで全て読んでる?

って事。


(ほらソコ、ぎくっとして肩動いてる(笑))


正直、全部は読めないと思う、だってその人との共通する部分や、自分に無い特定の一部に興味がある訳で、その人の全部に興味がある訳じゃないから。

でもそれを義理を欠くからといって無理に全部読む必要も無いと思うし、あえて「読んでいるよ」と嘘をついたり、恐縮したりする必要は無いんじゃないかと、思うわけです。

例えば人を平面状に存在するマルであったとするならば、自分と他人のマルが重なる部分が、ある時たまたま出来上がってソコに関係性が生まれる訳だけど、実はマルは全て重なる訳じゃなくて、重なる部分は実は一部でしか無い訳ですよ。

で、そんなマルの重なりが幾つも連なった場合、全てのマルの面積を足すと、一人が知りうる事の出来る面積を軽く突破しちゃう。それってネット上だと案外あっという間に現れてしまうなあという事を、最近身をもって体験したという訳です。

多分これからは、いかにして情報を集めるかではなく、いかにして多くの情報から自分にとって有益な情報のみを短時間で効率的に集められるか?がもっと重要度を帯びてくるんでしょうね。

そして無限に近い関係性の中から、自分にとって有意義で価値がある人といかに深く関われるかが、より重要度を増すんだと思うのです。

逆に言えば人と人との繋がりがあっという間にインフレを起こしちゃうほどネットワークやSNSやブログって凄い訳で、そんな距離を感じない無限の広がりを持つネットだからこそ、人との関わり、つまり重なったマルの一部は価値があって尊いいものなんだと思う次第なのです。

そんな訳で私と知り合いになってくれた方々、皆様の発信した情報の全てには目を通せないかもしれないけれど、これからもよろしくお願いしますね。


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